川崎

DSC01033_convert_20170214052827.jpg
2007年の9月2日
京急六郷土手駅で降りたのだと思う。
路地裏に土手に上がる階段を見つけた。
ピンぼけなのにその時の気持ちが蘇る。
DSC01038_convert_20170214054556.jpg
川崎は3番。
スポンサーサイト

丸子

DSC02686_convert_20170211235931.jpg
2008年5月に撮ったものが出てきました。
丸子は21番なのでブログ上順番通りに並べるためには
アップの日付を操作することになります。
こんなことをしていたら日付が変わってしまいました。・

品川

DSC04344_convert_20170211185249.jpg
新しくカテゴリを作ったので
日本橋だけでなく品川もアップしよう。
この畳屋さんの写真は無断で撮ってしまいました。
DSC04786_convert_20170213061403.jpg

DCF00476_convert_20170211181504.jpg
先々週、大風が吹いて
物干しのハンガーの首がとれてしまいました。
首の取付部にドリルで穴を開けS字金具を付けて
物干し竿に結んだトラロープに引っ掛けるようにしました。
この記事はへっぽこDIYのカテゴリが合うのですが
内容が短すぎるので一緒くたにしておきます。

日本橋

DCF_0001_convert_20170211190040.jpg
これは2007年に日本橋で撮った写真です。
DCF00473_convert_20170211181137.jpg
あれからお茶漬け海苔、20円も値上がりしました。
応募は面倒臭い、でも「蒲原」はGETしたいと思っていましたら
なんと「蒲原」のカードが出てきました。
今後も買い続けるか考えたのです。
お茶漬け海苔8袋入りが200円。
インスタントラーメン5袋入りも200円。
ご飯を食べるアイテムとしては抜群ですが
お茶漬けは煮干しの佃煮に担当してもらうとして
ネット上に五十三次の画像がアップされていれば
それでことは足りるのではないか。

お宝画像はすぐに出てきましたが
気に入った画質のものは少ない。
文章工房すばるという製本屋さんのサイトに
気持よく見られる一覧がありました。

話変わって、
DCF00477_convert_20170211183613.jpg
Ubuntuパソコンがクラッシュなのです。
復旧を焦るあまりまたしてもデータを失ってしまいました。
今は旧EeePcで32ビット用ubuntu14.04LTSをインストールしたusbメモリ
からパソコンを起動させています。
過去の写真データでなくしたものを特定するため
バックアップを含めたフラッシュメモリを
写真管理ソフトに読み込ませています。

そうするうちに、
自分は何度か東海道を行き来していて
偶然五十三次の地でとった写真もある。
足りないものはこれから足すとして
いちしんふたばの五十三次を作ってみようかな・・・
なんて気になってみたりして。

今日は寒かったのとデータの復旧が気になったので
外にはあまり出ませんでした。

春埜杉 (はるのすぎ)

晴天だったので春埜山大光寺の春埜杉(はるのすぎ)を見にゆく。
山の仕事をしていた時に覚えた道は忘れてしまい、
地図を見て周智トンネルの脇道から山に入る。
林道は荒れていたけれど、わりと楽に山に近づけた。
春埜山大光寺には神仏混淆の名残なのか参道に鳥居があるので
初詣ができそうな仏閣だった。
DCF00411_convert_20170102213527.jpg
杉木立の間から春埜杉がちらりと見えたら、
思わず「あ、いたいた。」と声を上げてしまう。
DCF00398_convert_20170102193006.jpg
大木の上に大木が乗っているような、
何度見てもその大きさ・姿に感動する。
wikipediaによると縄文杉のデータは
幹周:16.1m
樹高:30m
樹齢:推定3,000年以上(2,500年説もあり)
とある。

一方春埜杉は
目通り幹囲 11.4m
樹高 44m
推定樹齢 1300年
データー的には縄文杉に及ばないかもしれないが
巨木として十分鑑賞に値すると思うし
屋久島に比べてなんて身近にあるんだろう。
DCF00383_convert_20170102193722.jpg
また南アルプスの方角を眺める。
蕎麦粒山と大札山の間に
案内板に載っていない雪をまとった頂きが2つ見えた。
DCF00374_convert_20170102192436.jpg
帰り道
岩岳山の登山口に寄り道する。

ただいま

留守にしていました。
DCF00103.jpg
横浜に住んでいた頃ランドマークタワーは嫌いでした。
DCF00102.jpg
一泊だったのでインコは置いてゆきました。
インコシェルターに座布団サイズの電気マットと
電気ポットを入れインコのご飯をエサ箱とは別に
もう一カップずつ、大盛りにしてでかけました。

うちに帰るまで心配でたまりませんでしたが
シェルター内は20℃近くあり、4羽とも無事で
いちしんふたばがただいま〜と言うと
喜んで迎えてくれました。シアワセな感じです。

祭りの風景

DCF00023_convert_20161016224631.jpg
DCF00024_convert_20161016225342.jpg
DCF00026_convert_20161016230528.jpg
DCF00025_convert_20161016225909.jpg
DCF00022_convert_20161016223144.jpg

特に説明はなし

屋台

DCF00019_convert_20161013233353.jpg
昨夜はお祭りの準備。
25~26年使い続けた提灯はおばけのように口の開いたものもあります。
「宝くじが当たったら提灯ぐらい俺が寄付してやるのに・・・」なんて
会話がきかれます。

今夜は活動がないので一息つけます。
薪でお風呂を沸かしながらブログの更新をしています。

続き

昨日はブログを書きながら寝てしまいました。
その続きです。

再び登呂遺跡に訪れ、こんどは博物館に入りました。
1Fは無料。
特別展示のある2Fに上がるには400円かかります。
まず、1Fを見てみました。
弥生時代体験コーナーと資料室がありますが、
この日19:30からお祭りの準備があって16:30には静岡を出ねばなりません。
らちが明かないので受付の案内係の人に聞きました。
「登呂遺跡って人口どれぐらいだったんですか?」
親切に説明していただくのですが、
私がしつこく食い下がるものだから
「ちょっと待ってくださいね、いま学芸員の方を呼びましたから。」
と言われて待っていると有料コーナーの2Fから階段をおりてきてくださいました。

登呂遺跡には200年の間にのべ30軒、
ある一時期とってみると10軒の家があり、
1軒に何人住んでいたか考えかたにもよるが
およそ40~50人が住んでいたのではないか。

登呂遺跡の水田の範囲としては今のところ約8haが確認されている。
現代の感覚からすると10軒の農家に対して8haは大きすぎるので
近隣集落と協力し合って耕作していたとか休耕田があったのではないかなどの
仮説が出ている。

この時代、10軒に対して8haの水田が必要であったとすると
邪馬壹国70000戸には56000haが必要になる。
この数字がどういうものか
ちょっと
2013年の九州各県の耕地面積。(ha)を調べてみる。
鹿児島県 122,700
熊本県 117,000
福岡県 86,000
宮崎県 68,900
大分県 57,600
佐賀県 54,200
長崎県 50,500
弥生時代の耕地面積はもっと小さかっただろう。
だとすると邪馬壹国の領土は一県の広さにとどまらない範囲にあった可能性もある。

登呂遺跡2度目

DCF00017_convert_20161010224000.jpg

魏志倭人伝に書かれた一大国の戸数、
一大国であろうと思われる壱岐の面積を比例拡大して、
戸数のわかっている邪馬壹国以北の国々の面積を推測することは
各国の暮らし向きの違い、土地生産性の違いがあって正確さに乏しい。

では弥生時代の登呂遺跡にはいったいどれだけの住人がいたのか、
そこから当時の人口密度を知る手がかりはないだろうか・・・

ZZZ・・・
プロフィール

いちしんふたば

Author:いちしんふたば
Iターンで転職も成功!
を夢見たけれど
事は予定どおりに運ばなかった
いちしんふたばの
さて、これからどうする?

降水短時間予報
-降水短時間予報-
カテゴリ
窯 (6)
月別アーカイブ
リンク
メールはこちらへ

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
訪問ありがとうございます