人間失格

主人公が対人恐怖と二者択一もできない優柔不断のため、
自分を道化にして他人の不興を買うのを避け続けた結果が、
脳病院への収容で、そのときに発した
「神に問う、無抵抗は罪なりや?」との言葉は
不可抗力だったといいたかったのだろうか。
少なくともガンジーのような強い意志による無抵抗とは思えない。

そういう自分も保護者同伴じゃなくなる頃から対人恐怖は感じ始めて
道化で切り抜けようとしたことは幾度もある。
いま山で暮らしているのも対人恐怖の名残かもしれない。
(でも限界集落でも人里にはちがいなく、逃れられはしない。)

怖いものには近づきたくない― それが自分で、
正直、この本を手に取ること自体怖かった。

自分で選択した人生でなく、
親の言うままに進学し寄宿生活を送り、上京し、
悪友に、組織にひきずられ・・・ということだけど

上京して最初に入った寮生活からは逃げ出し、
雑誌編集担当者の母娘の家からも逃げ出す。
”逃げる”という選択肢はもっている。

親の言うままに進学し寮生活途中で、
行事が多すぎて勉強できないからと逃げ出し、
勉強に行き詰まってさびしくなってまた寮に戻った自分。
劣等性のレッテルを貼った先生の言うがままの就職をして
20年勤めたが、初めて自分の意思でその会社を辞めて
その後はご覧のとおり。
(先生は自分に才能がないことを見抜いていた。)
太宰のいう「実利的」な仕事でこそ生計を立てたいと
思ったにもかかわらず、そっちのほうは”へっぽこ”で
サラリーマン時代みたいに(結果的に人に取り入る)ことで
ポジションを得るようなことにはなりたくない。
(そのためには会社を儲けさせて、実利を示さねばならない。)

主人公よりも人間失格のような人物がいくらでも出てくるのに
身を持ち崩さない。では身を持ち崩さない人のほうが
「悪人」の要素があるということか?それは見たくない世界だ。

自分の父親も酒で身を持ち崩したが、
主人公同様「いいひとすぎたのよ。」と人に言われている。
犠牲になった家族にとってはとんでもない悪人だった。
悪意の有無にかかわらず結果的に悪人だ。
それは
山で石につまづいて、山に悪意があったと思うのと同じだろうか?

一読した後これを書くためもう一度読んだらわけがわからなくなった。
自分が見たくない世界をブロックしているからだと思う。

この主人公は道化といいながら
うそでキスをしたり、うそでほしいお土産を父に知らせたり、
人を喜ばせながら実は裏切っている。
それが自己防衛のためだから始末に終えない。
道化で他人(特に女性)を欺き、相手を意のままにするのは
無抵抗ではなく支配していることではないのか?
彼自身の破滅を彼に欺かれ彼を甘やかせた女性のせいにしてはいないか?
その技が通じなかったのが竹一であり、ヒラメであり、
堀木であり、うその咳を見破った検事であり、寮の学生で、
付け入る隙のない人間も普通にいる。

見たくない、わかりたくないと思うもの、
自分が、自分の親父がこの物語に似ていると思いたくないためか、
もうちょっと生きてみたらわかるときも来るだろうか?

宮沢賢治の虎十公園林で
丹精こめて植えた杉林を、意地悪な男に伐れといわれて
いままで誰にも抵抗しなかった虎十がはじめて抵抗したため
殴られて雨に打たれて死んだような、なにかがんとした意思のある
話のほうが、同じ死ぬのでも自分は好きなのだけれど・・・
それはリアルじゃない作り話の世界なのか・・・

今気がついたのですが、
虎十(けんじゅう)の名は賢治(けんじ)に似ています。


偶然かもしれないが、遠藤周作の「海と毒薬」に出てくる
戸田という男の生い立ちで、根っから罪悪感の乏しい男でありながら
小さい頃から「よいこ」を演じて、先生も友達もそれにだまされていたのが
ある日、東京からの転校生に欺瞞を見破られる場面があり、
なんだか似ている気がした。
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まいとジュン

母の死を知って横浜から春野に帰る気力が起きなかったとき
友人が梨木香歩の「西の魔女が死んだ」を貸してくれて読んだのです。
カントリーライフの入門書のように読まれているので気が紛れるのではと
いうことでした。

最近、銅鏡の寓話を収めたさとうさとるの「ジュンの秘密の友達」を
開いてふと「西の魔女」に共通点があると思いました。

「西の魔女」まいのお気に入りの場所

「丘から下の方に向かって斜めに細い道が延びていた・・・・
中略・・・5メートルほど降りていったところに、回りを木に囲まれた
日当たりのいい場所があった・・・中略・・・ほの暗く湿った竹林や
杉林の間に、ぽっかりと天に向かって開いたような場所で・・・中略・・・
まいはなんだか妙にその場所が気に入った」

ジュンが小屋を建てる場所

「ジュンの家は、がけのふちにマサキの生け垣がありました。
その生け垣には、すきまが一ヶ所だけあって、そこから下へ降りる、
”く”の字に曲がった細道が、がけについています。・・・中略・・・
がけを4メートルほどおりると、ほんのちょっぴりがけをけずって
平にしたところがありました。・・・中略・・・座りこんでしまえば、
後ろも右も左も、すっぽりやぶに囲まれてしまいます。前は
ツツジの繁みの上に、青い空があるだけです。」

まいのおばあちゃんの別れのメッセージ

「その汚れたガラスには、小さな子がよくやるように、指か何かで
なぞった跡があったのだ。
ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ へ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ    」

ダイちゃんからジュンへの別れのメッセージ

「ジュンは自分が野ウサギになったつもりで、四つんばいになって、
ガラス戸のあたりを眺めました。
そして思いがけないものをみつけました。
ほこりでよごれたガラス戸に、こんな文字が残っていたのです。

『サヨナラ』


梨木はカントリーライフ、
佐藤はものづくりを横糸にして
どちらも「人間の魂は死んだとどこへ行くのか」を
テーマにしています。
ホーキング博士は死後の世界などないと言ったらしいですが
そんなことはどう考えようと個人の勝手なので、
梨木が正しいとも佐藤が正しいとも言いようがありません。
ただ自分は梨木よりずっと前から慣れ親しんでいる
さとうさとるの童話には、ほとんど黙して語られない
にもかかわらず、戦争が含まれている、戦争文学かも
しれないー、とこの年齢になって、今の時代になって
気がついたのです。

ダイちゃん(蜂山十五号鉄塔のオバケ)はその鉄塔を作った技師が
兵役に出る前に『おれが死んだらあの鉄塔に戻ってくるよ』
『だから墓はいらない』と言っていた、その魂だとジュンは知りますが、
この歳になって読み返してみて初めて気づいたのですー。
一言も語られませんがダイちゃんには出兵してから戦死するまでの
記憶が残っているはずなのだと。
そのことが頭にあるのとないのとでは物語の意味も変わってきます。

佐藤さとるの童話集、その文庫版を書店で見かけることはなくなりました。

新版 悪魔の飽食 森村誠一

森村誠一が好きというわけではない。
次々と角川映画がヒットしていた頃から
日本の闇を暴く人という印象はあったが
この悪魔の飽食でヤリ過ぎがあったらしく、
一気に評判が悪くなり、自分の中で
「悪い人」のイメージが定着していた。

毎日きな臭いニュースばかりで
戦争の予感が拭えないから
学校でほとんど習わなかった日本軍の実態を
知っておかなきゃという気持ちになる。

正史的に書かれた本もあれば
歴史の裏側、黒歴史みたいな本もあり
絶賛されるもの酷評されるもの、玉石混交のなかで
消されていくものに却って真実がありそうで
手にとって見た。

新版と言っても「写真誤用」の発覚翌年に全面改訂され
たように覗えその後平成19年で44版を重ねているから
この本は焚書の憂き目には遭っていないのかもしれない。

内容は・・・確かにひどいものだ。

だけどどこか淡々としている。
ひどいけれどただそれだけのような感想。
物足りなくて731部隊の犠牲者の記述をピックアップしてみた。

ハバロフスクの極東軍議裁判における川島被告の証言、
1940ー1945の五年間で人体実験の犠牲者3000人。
元隊員の証言ではもっと多かったとあるので、それと思える
箇所を追う。

人体実験に供せられた捕虜の数 2日に3人 5年間
(365x3÷2x5=2737.5)

捕虜収容施設の不足から 月に20人を殺害 3年程度(?)
(20x12x3=720)

昭和17年(1942)在監2年という古強者の捕虜がいて
通しの識別、が909号だった。
(創設初年度から909人目の被害者がいる。)
捕虜の中には一般人も含まれていたという。

ここまでたどるうちふと思う。
いくら南京で一般人を殺害しなかったと言っても信頼に値しないと。
たとえ南京ではなかったとしてもハルピンにはあった。

なぜ残酷な内容なのに胸に響いてこないのか・・・
そういえばもっとひどい本を以前読んでいたんだ。
気がついて本棚から遠藤周作の「海と毒薬」を探し出す。

断ることもできたはずなのに米兵捕虜の生体解剖の場に
立ち会うことになった医学部助手。後悔しても逆戻りできない
ところに踏み込んでしまった・・・

森村誠一は取材したありのままを731部隊の記録として
まとめたが、難しいところはその悪魔の行為した元隊員を
情報提供者としているから事実以上のもの、後悔とか
良心の呵責などを引き出すことはできないし、反省を促すものでもない。
取材者が元隊員の心に踏み込む権限はない。

海と毒薬にはそれがあるけれどノンフィクションではない。

だから事実から何を読み取るかは読者次第なのだろう。
自分が注目したいのは731部隊には少年見習技術員がいたこと。
そして殺されないまでも凍傷実験や細菌散布の標的としての
人体実験に供せられたこと。
敵国人を人として扱わないということは、
自国民をも敵味方関係なく犠牲にできるということだろう。

だからこそ人体実験のデータは隊員の助命と引き換えに
やすやすと旧敵国の手に渡すことができたのだろう。
殺人兵器を作ることはひどいが、本当にお国のために
やっていたのならそれを平気で敵に渡せるのか?

松本サリン事件、薬害エイズ事件、戦争がなくても
身近なところに大量殺人のできる物質が潜んでいる。
「核」でなくてもあらゆる危険に日常が脅かされている気がする。

ぐだぐだ日記

またむかしの会社にいる夢を見ました。

関西のどこかの都市に出張しています。
用件が終わったか、これから出向くのか
乗っているバスの中でホテルに戻らなくてはならないと思った時、
そのホテルも、今いる場所もまったくわからなくなっています。
必死でなにか探していますが何の手がかりもありません。

(なにかおかしいぞ)
(もしかして・・・)
と思ったら目が覚めました。

そしたらまた眠ってしまいました。

さっきいの続きか別の話か
背の高いビルにいます。
ホテルのようでもあります。
エレベーターに乗ったり、さまよっているうち
最上階に近い展望のいい階に出ます。
会社員の団体さんがお昼を食べています。
うなぎ弁当です。
自分の目の前に手付かずのうなぎ弁当があります。
その席の主は出発時間になっても帰ってきません。
お腹が空いていました。
たまらなくなってひとくち食べました。
食べてから正直に話そうと思い
責任者らしき人に謝って弁償しますから
残りを食べさせてくださいというと
○○くんがいなくなったと大騒ぎです。
その○○というのが自分の名前なのです。
そしていなくなった証拠だと食べかけのうなぎ弁当を
持って行かれます。「弁償しますから」というと
「あたりまえだ」といわれ、しかもうなぎ弁当は
持って行かれてしまいました。

それで目が覚めました。

今日はブックオフで買った和田竜という人の
「村上海賊の娘」第一巻を読んでしまいました。
108円ではなく360円しました。
例によってってやることはいっぱいあるのにです。
この人は映画化された「のぼうの城」の作者だそうです。

以前尾道から眺めたしまなみ海道の島々。
あれらが海賊の根拠地だったのか・・・


が自分はその映画は見ていません。

刷り込み

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同級生のミッチンがヤマトがかっこいいとさんざんぼくに吹き込み、
日本海軍の大和のプラモを買うと言い、たしかに軍艦はかっこいいので、
母にねだると母は重い口調で「戦争のことを思い出すから大和は嫌い。」と
語りました。再放送でヤマトを知り、親友と思っていたコーちゃんが
卒業式のあとで宮川泰の交響曲ヤマトを録音したテープをくれて、
寝ても醒めてもヤマトばっかり聞くほどのファンでしたが、
続編の内容を知って残念でした。
反物質の女性テレサの力だけでも倒せる敵
無駄死の特攻にほだされたテレサが道連れになって
はじめて敵を倒せるという話。
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ウルトラマンはいいのです。
死ぬとわかっていたわけではない。
たまたま相手が強かったので
怪獣退治という任務中の殉職なのです。
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いままでどんな敵にも打ち勝ってきた仮面ライダー。
核爆弾を内蔵しているとはいえ、どうしてこんな
くだらない怪人の自爆の道連れにならなきゃならないのか。
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ライダーマンもそうです。
ミサイルを安全な場所で爆発させるため
自らが操縦して自爆します。
「君は英雄だ、君に仮面ライダー4号の名を送るぞ。」という
主人公V3のセリフが偽善に感じてなりませんでした。
(最終回の見せ場は俺だけのものだぞ)という気持ちが
見え見えでした。
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アトム。
心優しい科学の子がどうして自爆しなくてはならないのか。

平和のために命を捨てるというのはウケるのでしょうか?
それとも戦時中と同じ洗脳が戦後も続いているのでしょうか。
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八郎は巨大な津波に対し男鹿半島を投げつけて戦いますが
それ以上の津波が来てついに自分が津波に特攻して八郎潟になります。
八郎は泣いている子どもを守るため自らが犠牲になります。
小学校の授業で使われた教材です。
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オアシスのみんなを守るためライオンと戦って
片足になったエルフはみんなから忘れられてゆきます。
そこへ今度は黒豹が現れエルフは片足でみんなを守り
やがて死んで木になります。
傷痍軍人のようなエルフがそれでも戦ったのは
みんなから認められたかったから?
でも無理をして戦ったに違いありません。
これも小学校の教材です。

宮沢賢治のグスコーブドリの伝記

グスコーブドリは冷害による凶作を回避するため
温室効果による気温上昇を期待して火山を爆発させます。
それを成功させるには最後の一人は火山島に残らなくてはならない。
ブドリはその役を買って出て命と引き換えに
凶作に見舞われたかもしれない人々を救います。
今CO2による地球温暖化は目の敵にされていますが
賢治はそれを冷害を防ぐために使えないかと考えます。
(昨今、火山が頻繁に噴火しますが、その影響は観測されているのでしょうか。)
賢治の描いたヒーロー。
でも、みんなのために死ななくてはならないシチュエーションは
自己犠牲を描くために作られたものに思えます。
賢治は決して他人に犠牲は求めないと思いますが、
「あたらしいクリストは千人でも足りないから万人でも足りないから」と
詩の中で妹に語らせていますし、意図したかはわかりませんが
童話を通して語りかける同士にはそれを求めたかもしれません。

では、特攻は戦前からの日本人の美意識なのでしょうか。







3・4・5のように

「あしゅらおう、オマエノ属スル宇宙ハ、無限ノヒロガリヲ持ツ球ノ内部ノ
ヨウナモノダトオマエハ考エテイルヨウダガ、ソレハソレデヨシ。
ソレデハソノ外側ハドウダ?コノ宇宙ノヒロガリノソトハドウナッテイルノダ?・・・」
             (光瀬龍;百億の昼と千億の夜)

むかし、ホーキング博士の宇宙論を易しく書いた本を読みました。
おぼろげにしか思い出せませんが乱暴に言うとこんなことでした。

今の宇宙は膨張を続けているが、やがて膨張が止まり収縮が始まる。
どんどん宇宙は小さくなって物質はエネルギーに戻ってゆく、
やがて無限小になって消えるのかというとそうではなくて
「特異点」という状態になる。
(なにが特異だったか忘れた。物理の法則が通用しないだったような気がする。)
時間の経過は物質の運動があってこそ計ることができるもので
すべてのものが止まってしまえば過去も未来もない、
時間の流れはなくなるのだけれども、
特異点の先の時間はどうなるのかを計算すると、
その解は虚数になり、虚数世界で新しい時間が始まる。
虚数世界で新しいビッグバンが起こるのだと。
虚時間といってもこちらの宇宙と
なんらかわりはなく逆に向こうから見ればこちらが虚数軸の
時間にいるだけのことだとか・・・
そして虚時間での宇宙が終わるとまたこっちの時間軸に
ビッグバンが起こるのだとか・・・

天才科学者に大変失礼だけれど、
それを読んだとき自分は
(もう、どうでもいいや)と思ったのです。

虚数の時間軸に新しい宇宙が誕生しても
自分の人生には関係ない。
天才科学者の考える方程式が解けない凡人は
宇宙のことを自分で理解する資質もないなら
いっそのこと
星は神様の子分が天から糸で吊り下げてるとか
考えていたほうが楽しい・・・
実際ホーキング博士の宇宙論がない時代にも
人は自分で人生を考え、何の支障もなく生きてこれた。
宇宙の真理を教えられたら幸せになれるかというと、
多分幸せは自分の心の問題。

天才科学者からこれが宇宙論ですと与えられて
ハイそうですかとありがたがるのは
神話に書かれた宇宙の始まりを信じることと
大して違わない。

今の時代に天動説を唱えても馬鹿と言われるだけで
逮捕されるわけではない。ならば自分で宇宙の神話を考えたって
それはその人の心の中の自由だ。

ピタゴラスの定理を知らなくても
3:4:5の辺を持つ三角形で直角が作れることを知るように
もっと直感的に宇宙を知る方法はないものか・・・





別れの予感 森瑤子

ある日ブックオフで
たまたま 名前に「森」がある辺りに立っていて
読んでもいい気がする本を物色していた。
「星界の紋章」の作者・・・
「人間の証明」の作者・・・
スプーン曲げでTVに出た職業超能力者の本・・・
は立ち読みしてやめにした、

自分の理解を超えた世界を垣間見るといえば聞こえはいいが、
単に避けて通りたいだけかもしれない、恋愛の修羅場、
不倫、女性・・・のこと
でも
「透明な蒼さを湛えた暮色の中を・・・」とか
「遥かなる宇宙の草原から吹きこんでくる、五月の風。」とか
すっと目の中に入ってくる文字があってお買い上げしました108円。

・・・人との出会いや恋愛の目くるめく過程より、
その別れに興味がある。・・・
あるいは
・・・私は出逢いよりも別れが好きである・・・
なんて
恋愛に事欠かない人に違いない、しかも家庭がありながら大したものだ。

未婚歴50年以上の自分にとって
失恋のダメージは恐るべきエネルギーの損失だから
もう避けて通りたいものの代表格。

読んでみて反感を覚える箇所もあるが、
ソローは
「本というものは、それをつまらないという人ほどにはつまらなくはない。」
と言っていたし
魏志倭人伝を解読するくらいに真剣に読めば
なにか見えてくるかもしれないと繰り返して読む。

言われてみてわからなくもない。
「一見やさしそうな男たちがゴマンといて、
このなかから猫なで声で迫る狼たちを確実に除外
していかなくてはならないのだ。
大学は出たけれど、読んだのは教科書と少年マンガと
ポルノ雑誌だけみたいな男たちが、それこそ星の数ほどいる。
特に少年マンガに現をぬかしている男には要注意。」
手厳しい。


自分少年マンガもアニメも特撮も大好物。
若い独身男性だったらポルノ雑誌持っていても堪忍してほしいよ・・・。

でも、言われれていること思い当たることもある。
「こういう男の妻になった女こそ悲劇である、
何事についても自分が一番大事、自己の快楽優先であるから云々」

何かの心理テストだろうか
「峰不二子と森雪とどちらが好きか?」と聞かれたことがあって
2作め以降の不二子はスタイルが誇張されすぎて気持ち悪かったし、
では雪は?というと
ときどぎある露出シーンに子どもながら胸ときめいたことはあったけど
今思えば 性格がない。(松本零士の漫画はみんなそう)
欲望の対象ではあっても 人間として、女性としての心や人格が
ほとんどわからない。これも気持ち悪い。

たしかにそういうものにうつつを抜かしていたのでは良くない。
でも子供の頃からそういうものが周囲に溢れかえっていた。

女性のほうが優れた感性を持っているというのも思い当たる。
また話がSFまんがになってしまうけど、
大半のスペースオペラが西部劇や世界大戦の舞台を
宇宙に移し替えただけなのに
(スターウォーズですら延々と続く宇宙チャンバラに飽きて映画館で寝てしまった)
竹宮恵子の「地球へ」とか
佐々木淳子の「那由他」や「ブレーメン5」はちゃんとしたSFで
愛読していた。

もしかしたら自分たちは幼少から
おぞましい世界にいたかもしれない。
昔話しか物語のなかった時代から
一気にアニメ漫画特撮漬けにされる時代に変わって
それに内包される意図に気づかず大人になった。
それが未婚歴50年の原因だとは言わないけれど・・・



摩尼宝楼閣一切瑜伽瑜祇経

光瀬龍の百億の昼と千億の夜に
悉達多太子と阿修羅王の会見するくだりが
「摩尼宝楼閣一切瑜伽瑜祇経巻三十二に記されてある」
とあるのですがネットで検索するとそのような経典の情報はなく、
私より先に検索した方が
・・・いまだ不詳なので、創作かもしれません・・・
とコメントされているのを見受けるばかりです。

年末に萩尾望都原画展のチラシを見たのと
キャプテン・ウルトラ主題歌の動画クレジットに
光瀬龍の名前を見つけたので
つい、そのハヤカワ文庫を神保町で定価より高く買ったのですが、
読んで気分が悪くなり、昭和SFの懐かしさに浸ることもできず、
代表作にまでケチをつけたい心境になりました。

ストーリーはSFなので破天荒は許容範囲ですが
著者が架空の経典を引き合いにして注釈をつけていたとは
いかがなものかと思います。

本当は作品中、破滅を引き起こすものの存在を
暗示するメッセージが消されてゆくとあるように、
この人の本も
静かな焚書の憂き目に遭っているのではないかと
心配して古本を買いに行ったのに。

♪月も火星もはるかに超えて〜♪と
昭和のSF特撮では歌われていたのに
2001年になっても
2010年も
2015年になっても人類は
火星はおろか月すら超えることはありません。

宇宙戦艦も
タイムマシンも
サイコキネシスも
飛べなくなったピーターパンには
実現性の乏しいものと気づかれてしまいました。





似た短編

白石一郎の幻島記、図書館の古本交換で得たもの、が面白くて
その後長編「航海者」短篇集「玄界灘」と読んでみたら
面白くなかった。

ご近所に不幸があって今日は仕事を休んで手伝いに。
出棺後、ご一同が戻られるまでの間が長いので
神保町で買ったレイブラッド・ベリの短篇集を読んでいた。

2人の宇宙飛行士が火星で一万年前の女性の死体を見つける。
その女性をみて一人は自分の恋人に似ているといい、もう一人が
いや、ちがう自分の恋人に似ているのだと思う。

それと全く同じような話が白石一郎の短編にあった。
ただ火星が上海、火星人の女が中国人遊女に入れ替わっただけ。

「航海者」がなんとなく遠藤周作の「沈黙」とくらべてぬるいと、
つい比較してしまったほど、どこがとは言い難いが似ている印象を受けた。

魏誌韓伝

9:25霊園を出た。
帰りのバスで考える。
残存思念を求めて弘明寺に行くか
古本を探しに神保町に行くか

過去に縛られ自分を苛むより
先を見よう、そのまま電車で東京に向かう。

昔、神保町から秋葉原までよく歩いたから
そのままJRで先に秋葉原に寄ってみた。
なにかほしい物がありそうな気がしていたのに
昔ほど貪欲に歩きまわる気が起きない。
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ガシャポンをしただけで次いってみようー

でもまた考える。
今月はこの旅行代でピンチだし
まず品川図書館でどんな本があるのか当たりをつけて
気に入ったら通販ででも買えばいいと。

旅には一冊の文庫本。
ボロボロになった岩波の魏志倭人伝。

狗邪韓国から海をわたって1000里に対海国、
さらに1000里の海を隔てて一大国がある。
2国共に大官の卑狗、副官の卑奴母離という名が記録されている。
1000里先では通り越してしまうのだが、
解釈通り対海国=対馬、一大国=壱岐だとして、
本土側の奴国、不弥国にも卑奴母離がいて
女王国連合に敵対する狗奴国の王は狗古智卑狗という。

同じ名前があるということは同じ種族なんだろう。
記述通り対馬も壱岐にも倭人が住んでいたのだろう。
三国志に記された倭国以外の国々はどんなで、
どんな名前が出てくるのだろうか
できれば漢文と読み下し文が対比されている本はないか
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図書館は新馬場だったのに明日の宿のある北品川で降りてしまう。
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でもいいや、
本当に自分は品川の街が好きだった・・・
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図書館で早速蔵書検索をする。
三国志に関する本は
陳寿の編した正史よりも
三国志演義のほうがはるかに多い。
キーワードを「正史 三国志」に変えても埒が明かず
司書の方に相談する。
親切な方で書庫から陳舜臣の正史三国志八巻本を
出して頂いた。せっかくだったが内容は三国志の武将に関する
部分のみで辺境のことは割愛されていた。

この調子では神保町でも骨折りだったかもしれない。
図書館のPCを借りる。司書のお兄さん、
「お役に立てなくてすいません」なんて丁寧にPCの受付を
してくれる。

あや〜、
倭人伝以外の東夷は
魏書の30巻に収められていると知る。
その箇所を魏誌韓伝としている記事もあり
ネット上に原文も翻訳文も上がっている。

いかに検索するかでほしいものはネットから
取るほうが早いんだ・・・でも紙の本で見たかったから残念。
2018.01.27
プロフィール

いちしんふたば

Author:いちしんふたば
Iターンで転職も成功!
を夢見たけれど
事は予定どおりに運ばなかった
いちしんふたばの
さて、これからどうする?

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