連鎖

上の立場の人から受けて嫌だと思った仕打ちを
今度は自分が下の立場の人に施す。
自分の時代で断ちきろうと思っても
そういう教育を受けるとそういう行動しか知らないから
無意識に自分がやられたことを人にしている。

仕事でコストダウンを追求していれば
知らないうちに自分の生活でもコストも下げる。

ファーストフードの店にゆけば
自分まで、食材や食器と同じようにプロセスの中で料理されて
空腹の自分が店内にインプットされ、
お腹を満たした自分が店外にアウトプットされる。
ドライブスルーはコンベアの代わりに車に乗った客が流れてゆくし
回転寿司こそコンベアに乗った寿司を食べているが
モダンタイムズのようでも、
家畜の給餌のようでも喜んでいる。

「後工程はお客様」という言葉があるが
客を客とも思わない扱いを受けて平気になれば
自分の客を大切にする意識もなくなる。
客を大切と思わなければ上司にも従わない。
その冷たさは家族や友人関係にまで波及する。

そんなわけでとは言えないが
自分は親をなくしいま独り。
反省しても後悔しても、もう取り戻せない。
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一里を390mで魏志倭人伝を見ると

魏志倭人伝で魏の使者が邪馬壱国に来た記述は2つある。
1,正始元年(240年)卑弥呼宛の勅書、親魏倭王の印、銅鏡などをもたらす。
2、正始8年(247年)狗奴国と交戦状態の邪馬壱国に黃幢(軍旗)をもたらし
 檄(檄文;敵の悪を挙げ見方の正義を告げる文書)をもって告諭(道理をもって説き諭す)した。

後者のさなかに卑弥呼の死と墓の記事がある。
墓の大きさを歩数で測った人物はそれまでの道順の距離を
どうとらえただろうか。

海の上を歩くことはできないから歩数は数えられないだろうが、
はじめて一海をわたって上陸する対海国(対馬)は方400里とある。
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対馬で歩数を数えているだけで九州に着いてしまう。

九州の上陸地点末盧国から伊都国まで東南へ500里とある。
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おかしなことになってきた。
帯方郡(ソウル付近らしい)から九州の北岸まで7000里。
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とうに日本を通り越している。

全行程1万2千里
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方位を東に変えてみても
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一里390歩で見ると倭国は日本のどこともかすりはしない。
墓の記事は2度めの訪問だから魏使は1度めの情報を調べてゆくはずだ。
少なくとも歩数で墓を測る人物がいるなら前半の里数の記述と実際の違いに
気づかないだろうか?

道順を記した前半部と国交について記した後半部。
これらは別の文書から寄せ集めて作られたものではないかと思える。

漢和辞典

夏の間、立ち寄ったBookOffで漢和辞典を買っておいた。
三省堂刊 「全訳 漢辞海」
定価2900円のところ960円でGETした。

先日の卑弥呼の墓の件で
墓の径が100余歩だとあった。

漢和辞典で「歩」の意味を調べた。
距離で用いる「歩」とは(ふたあし)のこととアル。
1歩とは歩幅x2ということになる。

前の記事で卑弥呼の墓の大きさを径70mと推定したのは誤りのようで、
約140mということになる。
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(googlemapは権現塚古墳)
Wikipediaに周・漢代の1歩は1.3mとされていた理由が初めてわかる。

卑弥呼の墓を報告した者は
自らの歩数で旅の行程も書き留めていたであろうと思えた。(買いかぶりか)

漢和辞典で「里」を調べる。一里は300歩とアル。
1歩1.3mx300=一里390mということになる。

それは対馬海峡200kmを3000里で割って得た1里70mと全然異なる。
短里・長里の論争に触れたくなかったので、はっきりしている海峡の距離から
一里を推定したが、感じるまま素直に読むほどに自己矛盾に陥る。

1里=70mに辻褄が合うような短里が存在したのなら、
「短里とは(例えば)50歩である」という定義が古典に見つからねばならないと思うが、
そのようなものは検索できない。

巨大ゆず

今年の冬至は12月21日で
22日にはお風呂を沸かさなかったので、
気がついた時は23日でした。

一陽来復のゆず風呂くらい、自給したいものだと
苗を二本植えましたが、今年は花も実もありません。
それはわかっていたので、
密かに小々次郎さんのブログで見たアヒル風呂をしようとねらっていましたが、
気に入ったアヒルにめぐりあいませんでした。
横浜に行った時Queen's伊勢丹の駄菓子屋にも立ち寄りましたが、
かわいいのがありません。

そしたら、
たまたま、
フェイジョアとか巨大唐辛子をくれた方から
巨大ゆずをいただきました。
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お風呂に脳みそが浮かんでいるみたいです。
でも香りはするし、逃げ遅れたアリ一匹ゆず島に乗って漂流していましたし。

これは23日の話です。

また出たか魏志倭人伝

数日前、休みの日だったと思う。
朝、目が覚めてふと思った。

魏志倭人伝の卑弥呼が死んだ時の記事にこうある、

「卑弥呼が死んだ
 大きな塚を作った。
 径100歩余り。
 殉葬者奴婢100余人。」

簡潔に書いてある、このまま、単純に、素直に読めば
卑弥呼の墓は直径70mくらいの円い丘で、
もし古墳として残っていたら「円墳」に該当するのではないか。
そのイメージは
6・3・3で12年、繰り返し学校でインプットされてきた
大和王権のシンボルである「前方後円墳」ではない。

もうひとつ腑に落ちないことが出てきた。
卑弥呼の墓には奴隷が100人ばかり生き埋めにされたとある。
古墳時代には殉葬者の代わりに埴輪を埋めたのだと習った。
多くの古墳は発掘調査が認められていないはずだ。
では教科書に載っていたあの素焼きの人型の埴輪はどこの古墳から発掘されたものか?
Wikipediaを見ても、人型は関東以北に多いが市町村名しか出ていなかったりする。
古墳以外の場所から出たものではないのか?
それとも古墳と知らずに掘った場所から出たのだろうか?
埴輪は殉死者の代わりだったのだろうか?
人型以外に家とか動物とかも生け贄代わりだったのだろうか?

インターネットから得られない情報は自分の足で探すしかない。
円墳の分布図が見たいのに前方後円墳の分布図ばかり出てくる。
自分が卑弥呼の墓を探すならば円墳を訪ね歩くだろう・・・

例えば吉野ヶ里遺跡と大川を挟んで反対側の久留米市に
権現塚古墳という円墳があるようだ。被葬者は不明で規模も大きい。
倭人伝に思いを馳せることができそうで行ってみたい気がする。

ソフトフォーカス

今夜は梅雨並みの大雨で室温も12℃あり、
10℃以上なのでストーブを焚かずにいます。
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でもこの前の土日はすごく冷えて
また屋内防寒雨戸を出しました。
毎年、全室を暖かくしようと目論むのですが
一向に先に進みません。
あ、
カレンダー9月からめくっていない。
他にも10月でストップしてるやつ、
5・6月で止まっているやつ、
来年から1年全部1枚に収まっているカレンダーにしよう。

まるで冬の無人小屋で寒さを凌ぐような、
いや、ここが寂れた冬の無人小屋だったとしよう、
冬山の出で立ちは
(たとえば)長袖のアンダーウェアにウールのシャツ、
フリースか薄手のセータにインナー付きの防寒着だったとしよう、
それでも冬の無人小屋は寒かったのだ。
その日ストーブを(細火で)焚いて7℃しかなかったから、
今となってはそんな衣類はボロくなってないから
作業着代わりの長袖カッターシャツにフリース2枚、その上にビニールのヤッケを着て
ひとり無人小屋気分になってはかどらない部屋の片付けなどしていた。

でもせっかくの休みなのに
いくら片付けがはかどらないからと言って
山に行っちゃいけないのか?
そんなことはない。
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ちょっとだけなら良いや。
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しかし今日はやけにソフトフォーカスだなあ、
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いや、まてよ?
ケータイカメラのレンズがなんか汚れてるぞ、
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あ、ばかだなあ。
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去年埋めたのにまた轍ができている。
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カシ林へあがる梯子は朽ちてしまった。無理やり登る。
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ここに来るんなら薪拾い用のバスケットを持ってくればよかった・・・

冷蔵庫掃除

これも日曜日のことです。
冷蔵庫には去年大豊作だった柿が
ビニール袋の中でおぞましい姿になってひしめいていました。
年末なのでなんとか片付けたいと思い
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不織布の水切りをフィルターにしてろ過しました。
すぐに一升瓶は一杯になり、柿酢は白濁してる上、
袋に入っていたせいか、酢が薄いのです。
不織布も目づまりがしてまだるっこしく、
酢が熟成してくれないかもしれません。
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ビニール袋の柿を全部、不織布の袋に入れ替えて
かめに入れました。
酢を取るなら最初からこうすればよかったけど
酢を取るつもりではなかった。

来年は「糖分」のままで保存したいなあ・・・

自由研究

日曜日の記事を書いています。
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ドラム缶の金魚は去年のお祭りでとったもの。
室内の水槽には水カビ病が出たのに、屋外のドラム缶には出ませんでした。
水槽用にろ過フィルターも買うことができなかったので
残りの金魚もドラム缶に移しましたが随分数が減ってしまい、
今年のお祭りでは金魚すくいはしませんでした。

ドラム缶には氷が張っています。
さて、小学生の質問です。
「どうして氷は水面に張るのですか?」

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こ・れ・は・な・に・か・と・た・ず・ね・た・らっ、
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わらびを塩蔵した時にでたアクを含む高濃度の食塩水で
夏の間に蒸発して塩が再結晶するのを待っていたのですが
瓶の底に少しばかり結晶ができただけでした。
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たくさん塩を使ったのでそのまま捨てるのがもったいなくて
とっておいたのですが、今ようやくストーブを焚いているので
鍋に入れて火にかけてみると、
混ぜても混ぜても結晶は水面に張ってくるのです。
はじめは水面に浮かんだゴミを核にして結晶ができるのかと思いましたが、
塩の結晶と水の三態変化では意味が違うのかもしれませんが、
水面が冷たい空気に触れて冷えるからじゃないか?

上記の質問を検索すると果たしてそのとおりで、
あほなはなし、自分は
(氷は水より軽くて浮くからやん。)
と思っていたのです。
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取り出した塩はこんな感じですが、
まだまだアク塩水はあって塩の回収は続きます。

一度見たら忘れられない写真

昨日は風が冷たくてコインランドリとガソリンスタンドと
コイン精米とスーパーを回って震えながら車に駆け込み、
二俣の温度計4℃、横川の道の駅0℃、旧春野高校2℃を見ながら
帰宅すると室温は4℃。インコシェルターは10℃でした。
それでもインコたちは寒いのポーズはしてないので一安心したものの、
自分が寒けりゃインコたちもだ。
シェルターに入れたのが三叉プラグでよかった。
白熱球+座布団サイズ電気マット+電気ポットで14℃に。
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写真を撮るとその距離感からいちばんの親密さがわかるのだと、
(だから自分はあまり人物写真は撮りたくない)
昔、NHKの日曜美術館である写真家の身近な人を写した
写真集の中でお母さんの顔が最大のアップになっているという回があって、
テープの関係で番組の途中しか録画できず、どこかで見たような名前を
暮鳥」とビデオのタイトルにしておいたものだから、とうの昔に紛失してしまったビデオを
もう一度見たくても写真家を調べたくても無理なまま諦めていた。
霧の中を子どもたちがかけていくような写真など一度見たら忘れられない。

ミドの写真を見ながら、ふと
(あれは ごちょう ではなかったか)と思いつく。

果たして結果は大当たり。
偶然、
牛腸茂雄の展覧会が東京で今月末までやっているとも知る。

忘れられない写真といえば他にダリウスキンゼイがある。
以前にリンクしたそのページは移転していた。

反すう

これからの予定がブログタイトルなのに
どうしても過去を振り返るのは歳のせい。

ゴエモンが
釜茹でになったという、
12月12日は退院記念日

(日付を無理やり昨日に戻して保存。)
プロフィール

いちしんふたば

Author:いちしんふたば
Iターンで転職も成功!
を夢見たけれど
事は予定どおりに運ばなかった
いちしんふたばの
さて、これからどうする?

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