難升米

「魏志倭人伝」は「魏略」を参照して書かれた部分と
魏の公文書を閲覧して書かれたと思われる部分がある。
「難升米」の名前は魏の明帝から卑弥呼に宛てた勅書の中に出てくる。
難升米が卑弥呼の使者として貢物を持って洛陽まで来たことをねぎらい、
卑弥呼を「親魏倭王」とし、賜り物を持たせて帰らせる旨の勅書だが、
その勅書の控えが洛陽に残っていたのだろう。

難升米の働きを書き出してみる。

貢物として木綿の布類と男奴隷4人女奴隷6人を含む一団を率いて
邪馬壹国から海を渡り帯方(ソウル付近)に到着。
帯方郡で太守の劉夏と面会。貢物を魏の皇帝のいる洛陽まで届けたい旨交渉、
劉夏が付けた護衛に護られ洛陽に到着。
帝より率善中郎将の位と青い組紐の銀印を授かる。

一団を率いて帯方まで外国を旅するには
語学堪能、一団を守る力も必要。
帯方の地方長官と交渉し魏の皇帝に謁見するには
外見はもとより礼儀にも通じ、卑弥呼の威厳を損ねることのない、
立派な人物でなくては務まらないだろう。
難升米は、同行した牛利、引き連れた男奴隷ともに顔に刺青をしていたのだから
異様な一団に見えたに違いない。

岩波文庫の注釈に難升米がもらった官職、「率善中郎将」の俸給は2千石とある。
太守の俸給も秩2千石なので、三国志の時代に一地方を任された武将と
かわりのない待遇ということになる。

難升米は魏の帝に好印象を与えたのではないか。
倭王が掖邪狗ら第二の使節団に贈り物を届けさせたあと
洛陽の帝から卑弥呼にではなく難升米あてに「黄幢」が賜われる。
黄色は魏王朝のシンボルカラー。幢は軍旗。
いわば魏の「錦の御旗」を掲げる難升米は邪馬壹国軍を動かす権限を持っていたとみえる。
女王に軍旗はふさわしくないという配慮か、
真の実力者は難升米だと見てのことか・・・
ただ、この時の黄幢は帯方郡に託されたままだったようだ。

帯方郡に王頎が赴任して
卑弥呼が狗奴国との抗争について陳情の使者を立てた。
このとき太守王頎が塞曹掾史の張政を遣わし、
詔書と黄幢をもたらし、やはり卑弥呼ではなく難升米に授けて
張政は檄文を作って難升米に告諭(おそらくは読み聞かせ)した。
陳情が来ても太守が詔書を書くわけではないから
それまで帯方郡預かりになっていた詔書と黄幢をとどけたのだろう。

難升米は率善中郎将の官位をもらい倭国の外交官というより
魏の役人として動いていたかもしれない。卑弥呼自体、「親魏倭王」の
金印をもらったと言ってもそれはすでに独立国の王ではなく、
中国皇帝の配下としての王であり、朝貢することによって倭は
進んで中国の地方行政に組み込まれたことになる。
そのことを難升米は十分理解していただろう。

金印や銀印、銅鏡を含む多くの賜り物は
たかたか木綿の布と男女10人の奴隷に対する返礼ではなく、
倭国を魏に差し出したことへの見返りだったのだろう。
倭国は郡にこそならなかったが難升米は太守に準ずる待遇で
倭国という一地方の長官に相当する働きをしていたのではないかと思う。
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