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「短里説」は崩れた

三国志全文検索というサイトを見つけました。
三国志が書かれた時代だけ他の時代とは異なり、
「短里」を用いたという説があって、それを唱えた方は
著書「邪馬台国はなかった」のなかで
三国志に出てくる里数をすべて当たって見た結果、
すべて短里が用いられているとされていました。

ネットの普及はすごいものです。
全文検索を使って「十里」を検索してみました。
孔明の居住地が襄陽から二十里だったので
そのレンジの距離で現実とかけ離れた例があるのかを見ました。
gou.jpg
十里などいくらでも出てきますが、
三國志卷六/魏書六/董二袁劉傳第六に
五十里と十七里が出てきました。

去鄴十七里臨滏水(鄴を去ること十七里で滏水に臨む)
というのをgooglemapで検索してみました。
17里は1里390mで計算すると6.6km。
過大ではなく少ないくらいです。
でも桁が違うというほどではありません。

次に「千里」を検索してみました。
三國志卷三/魏書三/明帝紀第三にありました。
魏の皇帝曹叡が司馬懿仲達に命じて襄平で独立を企てた
公孫淵を討たせたときに、兵士4万人をつけようとすると、
家臣がみな4万人は多すぎるといったのを、
「4千里の征伐に行くのだ、経費は少なく見積もるにはあたらない。」
(我流の訳なので間違っていないかちょっと不安ですが・・・)
といって結局4万人を行かせたとありました。
4000ri.jpg
これを見たときに(またまた・・・)
ああ、皇帝が4000里なんて言ってしまったから
そこから先は距離の単位が1000里で記載されてもおかしくはないなあ・・・
と思いながらGooglemapで距離を測定してみると
洛陽―襄平間1450km。(4000里x390=1560km)
なんとほぼ合っているのです。

わたしは古田武彦さんのようにすべてを当たったとはいいません。
が、距離が間延びするのは遼東から先の楽浪郡・帯方郡に属する領域で
わたしには遼東まで4000里という距離が先入観となって働いたのではないか
と思えてきました。

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