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楽浪郡

魏志倭人伝の最初の出だしは
「倭人は帯方の東南大海の中にあり」ですが
、帯方ってどういうところなんでしょうか。

岩波の注釈には今のソウル付近とあります。

wikipediaによると、
後漢の時代に遼東、のちに日露戦争の戦場となった遼東半島、
その地の太守であった公孫氏が朝鮮半島に進出し
今の北朝鮮西岸辺りにあった楽浪郡の南を分割し、屯有県
(現・黄海北道黄州か)以南を帯方郡と定め、韓国・倭国の
統治にあたったようです。

三世代目の公孫淵のとき魏に反旗を翻し遼東の襄平城で
景初元年(237年)独立を宣言。燕王を自称。
これに対し翌年、魏の明帝は司馬懿仲達を送り公孫氏を滅ぼします。
また海路から密かに劉昕と鮮于嗣を帯方太守、楽浪太守として
送り込み、帯方郡は魏の直轄地となります。

このときの海路については良くわかりませんが
陸路の戦乱を避けて海から帯方・楽浪の制圧部隊を送り込んだのであれば
帯方郡の港では黄海も渡れる船が発着していた可能性があります。
このことは帯方から倭に向けて出航した船についての想像にもつながります。

では帯方郡を知る前に楽浪郡ってなんだったのか知る必要があります。
と、思ってちょっと見てみると・・・謎というか、闇というか。
これはとても手に負えません。
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