土山

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土山、50番。副題は春雨。

ワイヤメッシュもトチノキの苗もほっぽらかしで出かけた。

あまりゆっくりもしていられす、
サービスエリアの風景だけ撮って先へ進む。

これは11日のことです。

紅白の梅

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赤と白の梅が寄り添ってさく梅。
裏の梅より前に開花はしていた。
周りは冬と変わらないのに、
梅が咲いただけで「春」ということになる。

この日の朝、粉雪が舞っていた。
山には雪雲がかかっていた。

難升米

「魏志倭人伝」は「魏略」を参照して書かれた部分と
魏の公文書を閲覧して書かれたと思われる部分がある。
「難升米」の名前は魏の明帝から卑弥呼に宛てた勅書の中に出てくる。
難升米が卑弥呼の使者として貢物を持って洛陽まで来たことをねぎらい、
卑弥呼を「親魏倭王」とし、賜り物を持たせて帰らせる旨の勅書だが、
その勅書の控えが洛陽に残っていたのだろう。

難升米の働きを書き出してみる。

貢物として木綿の布類と男奴隷4人女奴隷6人を含む一団を率いて
邪馬壹国から海を渡り帯方(ソウル付近)に到着。
帯方郡で太守の劉夏と面会。貢物を魏の皇帝のいる洛陽まで届けたい旨交渉、
劉夏が付けた護衛に護られ洛陽に到着。
帝より率善中郎将の位と青い組紐の銀印を授かる。

一団を率いて帯方まで外国を旅するには
語学堪能、一団を守る力も必要。
帯方の地方長官と交渉し魏の皇帝に謁見するには
外見はもとより礼儀にも通じ、卑弥呼の威厳を損ねることのない、
立派な人物でなくては務まらないだろう。
難升米は、同行した牛利、引き連れた男奴隷ともに顔に刺青をしていたのだから
異様な一団に見えたに違いない。

岩波文庫の注釈に難升米がもらった官職、「率善中郎将」の俸給は2千石とある。
太守の俸給も秩2千石なので、三国志の時代に一地方を任された武将と
かわりのない待遇ということになる。

難升米は魏の帝に好印象を与えたのではないか。
倭王が掖邪狗ら第二の使節団に贈り物を届けさせたあと
洛陽の帝から卑弥呼にではなく難升米あてに「黄幢」が賜われる。
黄色は魏王朝のシンボルカラー。幢は軍旗。
いわば魏の「錦の御旗」を掲げる難升米は邪馬壹国軍を動かす権限を持っていたとみえる。
女王に軍旗はふさわしくないという配慮か、
真の実力者は難升米だと見てのことか・・・
ただ、この時の黄幢は帯方郡に託されたままだったようだ。

帯方郡に王頎が赴任して
卑弥呼が狗奴国との抗争について陳情の使者を立てた。
このとき太守王頎が塞曹掾史の張政を遣わし、
詔書と黄幢をもたらし、やはり卑弥呼ではなく難升米に授けて
張政は檄文を作って難升米に告諭(おそらくは読み聞かせ)した。
陳情が来ても太守が詔書を書くわけではないから
それまで帯方郡預かりになっていた詔書と黄幢をとどけたのだろう。

難升米は率善中郎将の官位をもらい倭国の外交官というより
魏の役人として動いていたかもしれない。卑弥呼自体、「親魏倭王」の
金印をもらったと言ってもそれはすでに独立国の王ではなく、
中国皇帝の配下としての王であり、朝貢することによって倭は
進んで中国の地方行政に組み込まれたことになる。
そのことを難升米は十分理解していただろう。

金印や銀印、銅鏡を含む多くの賜り物は
たかたか木綿の布と男女10人の奴隷に対する返礼ではなく、
倭国を魏に差し出したことへの見返りだったのだろう。
倭国は郡にこそならなかったが難升米は太守に準ずる待遇で
倭国という一地方の長官に相当する働きをしていたのではないかと思う。

あいた口ふさがる

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山の世話とは自分が大の苦手とする掃除、整理整頓にほかならず、
そんなわけで相変わらずの荒れた山ですが、手入れができなくても
来ないわけにはいきません。
てをこまねいているだけでいつまでも森にならないと嘆いているうち
あっという間に月日が経っています。
なにもできなくても焦る必要ないように思えてきました。
これもそのひとつ。
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以前、栗の木をコゲラがつついてあいた口がふさがりました。穴を見つけた時から3年が過ぎています。
当時、もしかすると虫とコゲラは実はグルになって栗の木を痛めていると思いました。
そんなに簡単に人は疑ってはいけない・・・反省。
このさきどうなるかはわかりませんがいまのところ
栗の木はコゲラにオペを施してもらい害虫を取り除いてもらったことになります。
成功するオペがあれば失敗するオペもあるのでしょうけど。

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あちこちでシカにかじられたニガイチゴを見かけます。
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馬酔木が咲きました。



魏略逸文

講談社文庫、佐藤さとるの「ジュンと秘密の友だち」に
一つの寓話が収められている。
よい物語は読者の心を映す鏡だと。

魏志倭人伝が良い物語かどうかはさておき
三角縁神獣鏡でも覗いたかのように、
大和説の人には大和にしかありえないように、
九州説の人には九州にちがいないと。
日本の神話と結び付けたい人にはそのように、
読み手の望み通りのものに見えてしまう、
まさに心を映す鏡ではないか?
最近そんな気がしているのです。

鬼道につかえよく人を惑わすという卑弥呼が
今なお倭人伝の中から魔力を発しているようで、
倭人伝について語っているつもりが
実は自己主張し続けているに過ぎないのかもしれません。

そのへんのところ気をつけながら・・・

倭国は日本だとは疑うべくもないという立場では
気にも掛けなかった「里数」と現実の差は想像以上で
全行程一万二千里先とは日本をはるかに超えた洋上になってしまう。

倭人伝の中、
「邪馬壹国以北の国の道里、戸数は書くことができるが、
その他の傍国は絶遠で詳しくわからない。」と、
確かな里数だけを書いたかのようだけれど
その里数に従えば日本から大きく外れてしまう。
そうとは知らず、対馬海峡が3000里に相当するからと
一里を70mで邪馬壹国をさがしていたのも「邪馬壹国を見つけたい」という
自分の願望=あさましい心が鏡に映しだされただけだった。

卑弥呼の墓を目撃した魏の使者は墓の径を「100余歩」と報告している。
距離を歩数で測ろうとする人物が現実とかけ離れた「里数」に気が付かないだろうか?
漢和辞典を見ると、
1寸=0.1尺、1歩=6尺、1里=300歩=1800尺とあり、
すべての単位がひとつの度量衡の体系の中にある。
卑弥呼の墓の径を100歩と数える人物ならば
旅の行程で300歩歩けば1里だと数えないだろうか
「倭人伝」は倭国への渡航経験者が一貫して記したのではなく
複数の文献をつなぎあわせて作ったのではないか?
そう思って読み返せば
岩波文庫には魏志倭人伝の大半は魚豢という人の書いた
「魏略」という文献によっているとして巻末に現在では失われてしまった魏略の一部が掲載されている。
その箇所を読まなかったわけではない。倭人伝こそ完璧に正確だと思うあまり、
心が魏略を受け付けなかった。

岩波文庫の付録は著者が字句を補い訂正していて原型がわからない。
ネット上でもすでに魏志倭人伝と魏略逸文の比較された資料が出ていて
わたしなど今さら何を言っているの感がある。でもまあ、その先も自分で読みつづける。

魏志倭人伝で、大陸側から渡海、末盧国への上陸、
伊都国への陸行とその周辺国までは距離が書かれているのに
投馬国と邪馬壹国へは距離ではなく日数で水行20日・水行10日陸行1月と書いたうえ
「女王国以北は道里と戸数は略載できた」とあり、
(日数をもって道里といえるのだろうか?)と思っていた。
また女王国までの総行程1万2千里の記事がそれまでの旅程とは
かけ離れた位置に出ていると思えた。
これらの不自然さが異なる種類の文書の切り貼り、
今で言うコピペによるものだとすれば納得がいく。

魏略の断片の中では「水行20日水行10日陸行1月」の文は
見当たらない。元々はあったが失われてしまったかもしれないが
もともと邪馬壹国までの距離がなくて「道理を略載できた」と
あるのでやむなく別の資料で補った感がある。

そう断じると自分は邪馬壹国にたどり着けなくなってしまう。
それならそれでいいや。
無理に辿り着こうとすればするほど、そのあさましい心が
露呈されてしまう。卑弥呼の罠なのだ。
でもつぎはぎだからと倭人伝すべて否定することはできない。

彼女はコピペをしたというだけで何もかも奪われたが、
否定されたものには大変な価値があったかもしれない。

類似?

カラオケは嫌いなのに
帰宅途中の車の中でよく歌っている。

好きな曲の類似性に気づく。

五番街のマリーへと
喜多郎のシルクロードのテーマの出だしが同じだとおもう。

検索してみると最初から気づいている人がいる。
シルクロード・・・好きだったのに。


渡邉宙明さんの曲マジンガーZのエンディング。
イントロがアントニオ・カルロス・ジョビンの
「おいしい水」と似ている。


これくらいで宙明節を嫌いにはならないが
むしろボサノバを好きになる素地になっていたのかも。

イノシシ対ワイヤーメッシュ

去年、山に目が行き届かなくなったためか
イノシシが幅を利かせて、あちこち掘り起こされ、
マイバスケットでカバーしたヒメスミレは全滅しました。
第一テラス東側では以前にイノシシが掘った穴をおがくずで埋めて
堆肥になるのを待って次、何かの植え穴にしようと思っていましたら
そこをむちゃくちゃに掘り返され
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今度も間一髪で大事な苗は助かりましたが。
その気になればヒメスミレのようにひとたまりもありません。
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第一テラスを囲い込んでイノシシを締め出すため
まずはワイヤメッシュを4枚組んでロの字からスタートです。

第一テラス東はできるだけ自然に、あるがままに森ができるのを待つつもりでしたが
それは他の場所でそうなりつつあります。
この場所をあるがままにしておけばイノシシ天国になるだけです。
錆びたメッシュも塗装済みのメッシュも関係なく無効な箇所を取り外して移動させました。

ロの字では心もとないですが、
やがて日になり目になり田になればイノシシに対抗できるのではと思います。

梅も咲いたし、他の木々も水を吸い上げ始めているのでしょう、
ポットに入ったままの苗が気になります。
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牛乳パックのクヌギも根がポットの下の地面にまで達しています。
場所を探してはスクリュー式の穴掘り器で穴を開け、
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苗をはめ込んで、
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コーンをかぶせますが、
また藤蔓を見つけました。
タラノキに絡みついているのではしごを掛けても木に触りたくありません。
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刈り払い機を使います。
実はまたかかりが悪くて、
自分でした修理がまずかったかと思い、
ホームセンターではなく以前もお世話になった専門店に見てもらいました。
何度スターターを引いてもかからなかったものが全く大丈夫でした。
どうやら寒さのせいだったようです。
2サイクルエンジンで使えるのか知らないが万一のため買った水抜きも不要でした。
今日は日中暖かだったので。

背の届かない藤蔓を斬って思いつきました。
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杉の枝きりに刈り払い機を使ってみます。
刃の届く高さの枝は付け根を残して先に払ってしまいます。
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あとから手鋸で枝の付け根を切ります。
ちょっと失敗しましたが・・・

今日はもう眠いのでこのへんにします・・・
おやすみなさい。





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Iターンで転職も成功!
を夢見たけれど
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